鏡の魔女:ティリスの喜び
さて、最後は『鏡の魔女』ティリスのお話をしましょうか。
鏡の魔女?
そうそう、彼女の話をする前に、予言の大鏡について説明しておく必要があるわね。
名前がかっこいい……!
最初のエルゴが生まれるより遥か昔、青の聖女ユフィラが生まれるよりもっと前、あらゆる災いからイリスを守りたいと考えたマギサたちは、一つの魔法具を作り上げたの。
それが予言の大鏡。未来の災い全てを映し出す、比類なき傑作と謳われた、伝説の魔法具よ。
すごい! 未来が全部わかっちゃうなら、どんな人だって助けられるね!
残念ながら、そうはならなかったわ。鏡は起こりうる全ての災いを正確に映し出したけれど、それらは全て“絶対に覆らない”ことが決まった悪夢のような予言だったの。
ええっ!? そんなのどうしようもないじゃん!
起きることが決まった悲劇に備えて、被害を減らすことはできたから、鏡はちゃんと役に立ってはいたのよ?
役に立ちすぎたばかりに、新たな問題を生み出すことになってしまったほどだから……。
何が起こったの?
鏡を悪用されることを恐れたマギサたちは、何重もの結界で守られた森の奥地に鏡を隠して、ただ一人のマギサを鏡の使い手に定めることに決めたの。
それが『鏡の魔女』?
そうよ。最初は魔法具の扱いに詳しいマギサが役目を担うことになるはずだったけれど……。
鏡は“常に災いのみを映し出す”から、悲劇を見続けた鏡の魔女は、次々に発狂して命を断ってしまったの。
だから、黄の魔女の中でも、喜び以外の感情が枯れてしまったような、悲劇に心を壊されないようなマギサが、鏡を継承することになったのよ。
鏡の魔女たちは、ひとりぼっちで鏡を守っていたの?
予言の内容を外に伝える『森番』というイリスが一人、護衛も兼ねて、彼女たちの側にいたそうよ。でも、森番以外と会うことを許されない生活は、きっと寂しいものだったでしょうね。
ずーっと森から出られない生活かぁ……友達や先輩がたくさんいる集落の暮らしが当たり前だったから、全然想像できないや……。
そんな歴代の鏡の魔女たちの努力によって、数々の悲劇が予言された。疫病、飢饉、干ばつ、黒魔女の出現……その後も続く、アストライアの未来の姿を。
さて、ようやくティリスの話ができそうね。彼女は、最後の鏡の魔女だったの。
最後? 予言の大鏡は、もうなくなっちゃったの?
ええ。ティリスが最期の魔法を使った日、鏡はバラバラに引き裂かれてしまったの。
間違って落としちゃったのかな……
テトさん……古い鏡は、ガラスを使わず全部金属で作られていたから、普通なら絶対割れるようなことはないのよ。
巧妙に隠された鏡を見つけ出し、簡単に壊してしまえる存在。テトさんも心当たりがあるんじゃないかしら?
エルゴ……?
そうよ。鏡が突然予言を映さなくなった日――きっと、鏡そのものの終わりを予言していたんでしょうね――ティリスの隠れ住む森は、エルゴによって襲撃された。
燃え盛る森には、ティリスの大事にしていたものが二つあった。代々受け継がれた予言の大鏡と、彼女に寄り添い続けた森番の青年。
どちらか一つしか守ることはできないと判断したティリスは……。
森番を、助けたんだね。
ええ。彼女が自分の命より大事にしていた二つの宝物。今際の時に、ティリスは迷わず青年を選び取った。
晴れやかな笑顔で青年を見送ると、彼女は黄のアステールに身を変じ、最期の魔法によって決して崩れない岩壁を作り出した。エルゴがどこにも逃げられないように。
異端審問官……この頃はまだマギサと仲が良かった彼らが駆けつけるまで、ティリスの魔法はずっとエルゴを閉じ込めていたそうよ。
あのね、ランジェさん。昔『どちらかを選ぶことは、どちらかを諦めることだ』って長老様が言っていたんだ。ティリスさんは、大事にしていた鏡と、自分の命を諦めた。
それって、とても大変で、苦しいことで……それでも、ティリスさんは、森番のお兄さんを選びたかったんだね。
ええ……ええ。そうね。たった一つのために、全てを諦めた。痛みの伴う選択を乗り越えて、人の命を愛おしんだティリスと同じ思いを、きっと私たちも胸に宿しているはずよ。
わたし、ちゃんと魔法が使えるようになったら、やっぱり外の世界を旅してみたいな。ティリスさんの話を聞いて、今までで一番強く、そう思ったんだ。
その言葉を聞けて嬉しいわ。誰かを慈しむ優しい心……いつまでも、忘れないでいてね。
もっちろん!